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#「 " およげたいやきくん " の歌詞が怖いと思った瞬間」いろはdeおしゃべり

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♪ 毎日 毎日 ぼくらは鉄板の上で焼かれてイヤになっちゃうよ・・・ ♪ 【ひらけ!ポンキッキ】子門真人「およげたいやきくん」 (動画4分7分) 「およげ!たいやきくん」は、1975年にフジテレビの子ども向け番組「ひらけ!ポンキッキ」のオリジナルナンバーとしてリリースされた童謡。 日本で最も売れたシングル曲としても有名。 「およげ!たいやきくん」は、子どものころに、よく聞いた曲だし、よく口ずさんだ曲で、大好きな歌だったのを覚えている。 でも、子どものころに大好きだったこの曲を、20代の社会人になってから聞いた時に、歌詞が怖い!と思ったの。 なんか、サラリーマンという人生を外れると、自由を手に入れたかのように思えても、食べていくのが大変で、結局、生きていけない・・・と、諭している歌のように思えてきたんだ。 そう、大人になって働いているわたしの頭の中では、「およげ!たいやきくん」の歌詞が、こうやって解釈されたの。 毎日 毎日 ぼくらは鉄板の上で焼かれてイヤになっちゃうよ ある朝 ボクは店のオジサンと ケンカして海に 逃げ込んだのさ → 解釈その1 会社の上司とケンカしたり、社会や会社とかの不満が爆発したりして、サラリーマンを辞めた。 はじめて泳いだ海の底 とっても気持ちがいいもんだ おなかのアンコが重いけど 海は広いぜ こころが弾む 桃色サンゴが 手を振って ボクの泳ぎを 眺めていたよ 毎日 毎日 たのしいことばかり 難破船がボクの棲み処さ ときどきサメにいじめられるけど そんなときゃ そうさ 逃げるのさ → 解釈その2 サラリーマンを辞めて、自由な時間が増えたから、縛られずに自由を謳歌できて、毎日が楽しい。 一日泳げば 腹ペコさ 目玉もクルクル 回っちゃう たまにはエビでも食わなけりゃ 塩水ばかりじゃ ふやけてしまう 岩場の陰から食いつけば それは小さな釣り針だった → 解釈その3 自由はたのしいけど、やっぱりお腹は空くから、食べ物 (お金) が必要。だから、自由を捨てて、お手ごろな物に食いついた。 どんなにどんなにもがいても 針が喉からとれないよ 浜辺で見知らぬオジサンが ボクを釣り上げビックリしてた → 解釈その4 安定した収入という味を一回味わうと、なかなか離れられないよ。 やっぱりボクは タイヤキさ すこし焦げあるタイヤキさ おじさん 唾を飲み込んで ボクをうま

#「おじいちゃんの味」いろはdeおしゃべり

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 いまは亡きおじいちゃん、 おじいちゃんは、子どものわたしにおやつとして、よく七輪で焼き芋を焼いてくれた。 それも炭火。 いま考えてみると、炭火の焼き芋って、贅沢だったなぁ~と思う。 きょうの「いろはdeおしゃべり」のお題は、「おじいちゃんの味」だから、きっと、「あの焼き芋の味がおいしくて、おじいちゃんが七輪で焼いてくれた焼き芋の味が忘れられなくて、また食べたい・・・」、云々の話だと思うでしょ?! ウフフ、違うの。 シナモン、シナモンなのよ! シナモンを食べると、なぜか、おじいちゃんを食べてる気持ちになるの。 もちろん、わたしは人食い人種ではないから、おじいちゃんを食べたことも、人間を食べたこともないんだけど、シナモンを食べると、なぜか「おじいちゃんの味」と思うの。 どうしてなんだろう?! 不思議なんだよね、、、 シナモンを食べると、おじいちゃんを食べている気持ちになるから、だからシナモンはあまり得意な味ではない。 おじいちゃんを食べてはいけないと思うからね。 この感覚、いったい何なんだろうね?!

#「姨捨山 (おばすてやま) は何処にある?!」いろはdeおしゃべり

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 去年秋、15ヶ月ぶりの帰省をしたら、母の脚力がガタッと落ちていた。 歩く速度は遅いけど、往復7㎞の道を往復できていたのに。 わたしが物心ついたころには、うつ病なのか、心身症なのか、こころの病だった母。 その母に認知症がくわわったかも?! トンチンカンなのはむかしからのこと。 でも、あきらかにむかしとはちがうトンチンカンさが、、、 そんな年老いた母親が独り暮らしをするということが、そろそろ限界に近づいてきているのかも、、、 でも、光も風も入らないあのゴミ屋敷に、母親のトンチンカンな話を聞きながら、いっしょに住むのはムリ。 わたしが病みそう、、、 好きか嫌いかという二択しかないとすれば、わたしは母親が嫌い、、、 映画「楢山節考」 姨捨山って、いったいどこにあるんだろう??? 母を捨てたい、、、 映画「 楢山節考」のように、母親を背負って雪山に行って置き去りにしたい、、、 映画「 楢山節考」のように、「70歳を超えた老人は 楢山参りにでねばならない」という掟があればいいのに、、、 と、トンチンカンな母親とゴミ屋敷にいっしょに暮らすということを想像すると、そんな気持ちになる。 そんな気持ちもあるけれど、トンチンカンな母は母なりに、わたしを産んで育ててくれた。 その感謝の気持ちはある。 だから、いま、 2年以内に実家のゴミ屋敷を片付けて浜松に戻る 実家から徒歩10分ぐらいのアパートに空きがでたら、すぐに戻る ということを検討中。 浜松に戻るということは、いまのこのいろいろな幸せと離れなければならない、、、 富士山を見ながら大きな空の下と土の上を歩ける散歩道、4歳から85歳のご近所さんとの交流、東京に住むならずっと住んでいたいこのアパート、いろいろなことと離れなければならないのは寂しい、、、 でも、考えた末、 トンチンカンな惠子を気にかけてくれるご近所さん、惠子といっしょに食事をしてくれる親友たちがいる浜松の方が、これからの母親にとっても、わたしにとってもいいんじゃないかなと思ったんだ。 そう、だから、今年なのか来年なのか、東京を離れる、、、 ~ ▲ Memo ▼ ~ ● 映画「楢山節考」● 小説家でギタリストだった深沢七郎氏の「 楢山節考」を原作として、映画化が2度されている。 1983年のカンヌ国際映画祭で、パルム・ドームを受賞した映画。 あらすじは、厳しい極寒の地で、貧

#「老い」いろはdeおしゃべり

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若さという美貌が手に入るなら、大枚をはたいてでも手に入れたい! 「歳だけはとりたくない…」ということばの意味を、実感するようになったというのか、体感し始めるしかないお年頃に突入したというのか、、、 日々、「老い」がジリジリと忍び寄ってきているようで、若いときとは違うドキドキがある。 できるなら大枚をはたいでもさけたいのに、毎日、酸素にさらされ肌は酸化するし、引力に引っ張られ肉は下がるし、どうあがいてもね、、、アハハ。 だから、この「老い」という漢字には、イヤなイメージしかなかったんだけど、でも老いるというネガティブじゃない違う意味があることを知ったんだ。 中国語で「老」という漢字は、「先生」という意味があるんだって! アフリカ大陸には、「ひとりの老人が死ぬということは、ひとつの図書館が燃えてなくなるということと同じだ」という言葉があるんだって。 長く生きた人の " 知識 " と " 経験 " を大切に思う言葉だね。 平均寿命を考えたら、わたしの年齢は、もう人生の折り返し地点を過ぎた年齢になるけど、「先生」といえるほどの " 知識 " と " 経験 " が、わたしにはあるのかな???アハハ。 あの世へ行くときには、「わたしは〇〇の先生でした」と言える何かを、冥土の土産にしたいな (^。^)y-.。o○ 青森の90代男性4人がリレーで世界新記録を達成!

#「親を納得させるひと言」いろはdeおしゃべり

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 親を納得させる殺し文句をもってる? わたしはもってるの!どんな殺し文句かは、あとで話すとして、、、 " いくつになっても親は親 " ということばがあるぐらいだから、親というものは子どものことを心配して、小言が多い生き物なのかもね。 この歳になると、親心というものも理解ができるようになってきているから、ある程度の小言は聞けるようになったな。 でも、ここぞというときには、わたしは殺し文句を使って母親を納得させている。 しょっちゅう使って、効力がなくなってはいけないから、ほんとうにここぞというときに使っている。 わたしの行く先を心配して心配して、あまりにも心配するときにだけ、殺し文句を使っているんだ。 その殺し文句はね、 「お母さんの子どもだもん、大丈夫に決まってる!」 という殺し文句。 この殺し文句を聞くと、ウチの母親は、「そりゃ、わたしの子だから大丈夫」と言わんばかりのドヤ顔をするんだよね。 わたしは、「アナタの子どもだから大丈夫かな?!と思うけど・・・」と、内心思いながら言っているんだけど (笑)。 そして、なぜか、「お母さんの子どもだから、大丈夫に決まってる!」という殺し文句に、ウチの母親は納得して黙る。 だから、このことばは、親を納得させるのに、かなりの力を持っている殺し文句なんじゃないかと思っている。 もし親を納得させたいときがあったら、「あなたの子どもなんだから、大丈夫に決まってる!」という殺し文句を試してみて (^_-)-☆ 注意 : ウチの母親はかなりの変り者だから、一般的な親に効力がある殺し文句とは限りません (笑)。 ~ ▲ 過去ブログ ▼ ~ ブログ1号店『ウチの母親は妖怪?!子泣き爺か砂かけ婆だ!』by Kaon-Bloguru

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